Love & Peaceじゃだめかしら。

雨やどりをしよう。

生まれて来たからには、みんな一緒に幸せがいい。この地球で雨やどりをしよう。今よりもう少しだけゆるく幸せな世界を提案したい、24歳♀による(ちょっぴり)哲学的ブログ

WWOOF(ウーフ)って何? 私がWWOOFを始めた理由ーきっかけは1人の宇宙飛行士ー

 

 

 

こんにちは。新卒1年目のフキです。

 

 

私は大学を卒業したのちの1年間、アルバイトや派遣の合間をぬって、

日本各地でWWOOF(ウーフ)をやってきました。

 

 

突然ですがみなさん・・・

 

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WWOOFとは、World Wide Opportunities on Organic Farms「世界に広がる有機農場での機会」の頭文字です。

WWOOFは、有機農場を核とするホストと、そこで手伝いたい・学びたいと思っている人とを繋いでいます。
WWOOFのサイトを通し様々な人と友達になり、その関係性を深化させ、オーガニック生活を知り、新しい知見を得て、価値観の多様性を感じ、自分を向上させていくものです。
「食事・宿泊場所」を提供する側をホストといい、「力」を提供する側をウーファーといいます。

「食事・宿泊場所」と「力」そして「知識・経験」を交換します。
単なる交換ではなく、WWOOFではホストとウーファーとの温かなコミュニケーションを大切にしています。
自分が持っているものをあげ、持っていないものをもらう、というとてもシンプルなしくみです。

その関係に、お金のやりとりは一切ありません。

引用:WWOOF ジャパン - WWOOFについてより(一部略)

 

 

つまりWWOOFとはお金のやりとりのないファームステイ!

“World Wide(世界規模の)”とだけあって、この仕組みは日本だけでなく世界中にあります。

(発祥はイギリスだそうです。)

 

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◉私はなぜWWOOFをやろうと思ったか?

 

きっかけとなったのは、時を遡り私が大学を卒業したばかりの頃。

就職をせずに大学を卒業した私は、その時点では自分のやりたいこと、進む道が全く見えていませんでした。

(私が就職をしないと決断した理由については、こちらの記事をぜひご覧ください↓)

 

目指すべき具体的な職種や業種は、とんと見当がつかなかったものの、

この時の私には、心に抱いている問題意識がいくつかありました。それは、

 

・地球環境問題をいかに改善するか

・人間を含むすべての生き物が、どうすればより幸せに生きていけるか

・人間が精神的にいかにリラックスして生きていけるか

 

 

言葉にするときれいごとでしかないし、クサい感じもしますが(笑)。。。

私は真剣にそれらについて考えていましたし、それは今でも変わりません。

 

 

 

つまり、卒業当時わたしは

心の向いている方は分かるけれど、

実際に進む方向が全く分かっていませんでした。

 

 

悶々とする日々は続きました。

・・・

大学の卒業式を控えた3月のある夜、私は偶然一つのテレビ番組を目にしました。

それは、『世界ふしぎ大冒険!』という、TBSが過去60年間に放送した貴重映像を厳選した特番。

そこでは、日本人で初めての宇宙飛行した、秋山豊寛(あきやまとよひろ)さんについても特集していました。

 

TBSの記者であった秋山さんは、宇宙にジャーナリストを送る「宇宙特派員計画」の宇宙特派員に選ばれ、1990年に宇宙に飛び立ちました。この時、彼は日本人で初めて宇宙に行った人物となったのです。

 

 

「大気の薄さに驚いた。」

「地球が、まるでそれだけで命の塊のようだった。」

 

彼の言葉に心惹かれました。

 

 

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(↑興味のある方はぜひ!秋山さんの出演は27:05〜です)

 

 

 

そして私が特に衝撃を受けたのは、

彼が地球から帰還したその後の話です。

 

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えっ!宇宙に行ってきた人が、帰ってきて農業を始めたの!?

 

 

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こうして私は「農業」というものに興味を持つようになったのでした。

 

 

 

宇宙に行ってその目で地球を見た人が、帰還後、農業を営むことを選択したということは、

人間がいずれは突き当たる“我々はいかに生きるか”の問いに対してのリアルな答えが、

農業にあるんだ。

私はそう感じました。

 

 

「私は、農業に従事しようとは微塵も考えたことがなかったけど、宇宙に行った人が選んだのならば、きっと農業は良いことなんだ。きっと農業には、何か大切なものがあるんだ!

 

思い立ったら居ても立っても居られませんでした。

 

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こんなことをきっかけにして私はWWOOFを始め、のち最終的に、2018年の4月から翌年1月にかけて計5カ所でWWOOFをしました。

 これらの体験を通して、私は農業に限らない、様々なことを目の当たりにし、学ぶこととなります。

 

当ブログでは以後、私の体験したWWOOF生活について記事にしていきます。

\(^o^)/

ぜひぜひ読んでみてください!

・・・

 

 

 

 

最後に、

秋山豊寛さん・著『宇宙と大地』より、私の好きな言葉。

 

 

*☆*:.。.*・゜゚・*:.。..。.:*・*☆*:.。・*:.。. .。.:*・゜゚・  .。.:*☆

 

地球の青は、明るいブルーから紺になり、濃紺になり、黒くなり、漆黒の宇宙の闇に続いています。

何処から来て、何処に行こうとしているのだろう、わたしたちはーーー。


*☆*:.。.*・゜゚・*:.。..。.:*・*☆*:.。・*:.。. .。.:*・゜゚・  .。.:*☆

 

 

 

 

 

世界なんて一刻も早く平和になればいい。

この地球でみんな一緒に雨やどりしよう。

 

Instagramもぜひ見てね^_^

 

 

 

 

 

 

ノーモア・ラブストーリー!!映画「君の名は。」に垣間見える恋愛至上主義に反論!

 

 

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遅ればせながら、2016年公開の映画「君の名は。」の感想を。

ご存知、大ヒット映画。すごい映画ですよね。

映像も、音楽も、透き通ってて、心に染み入るよう。

 

RADWIMPS」による挿入歌、主題歌も映画の世界観をそのまんま歌にしたようで、まさに「言葉と、映像と音楽」とが一体になって物語を紡ぎ出している・・・

映画を見ているというより、「104分が最大限表現し得る一つの物語を見ている」ようでした。

 

 

しかし

見終わった後にの私の心には、原因不明の「モヤッ」が残っていました。

 

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な・なんで・・・?

そのモヤの正体は何なのか。その場ですぐに説明できるものではありませんでした。

時間が必要だ。

この映画の感想を言葉にするのには、時間が必要だ。

というわけで、公開から3年近くも経った今、ようやく考えがまとまっているのに気が付いたので、今日この記事を書いています。

 

 

 

◉【以下ネタバレ!まだ映画を観ていない人は、ご注意を。】

 

簡単に、映画のストーリーをさらいます。

主人公は東京に住むある男子学生、瀧(タキ)と、田舎町に住む三葉(ミツハ)。

彼らはある日を境に、時間も空間も超えての入れ替わりが起こるようになります。

お互い、みす知らずの人物。会ったことはないけれど、徐々に惹かれ合っていく。

しかし、ある日ぱったり入れ替わりが起きなくなった・・・。

この原因を辿っていった瀧は、数年前に起きていた隕石の落下事故により三葉の身に何か起きたのだと悟る。

瀧は、三葉を救うため、時間を超えて彼女に会いにいく。

 

 

会いたいけれども会えない。君の名が、分かるようで分からない。

けれど確実に憶えている、君のこと、確実に求めている。

時を超えても会いに行きたい。時を超えてでも君のことを救いたい。君の名は分からないけれど・・・

そんな、儚い、掴みどころのない「愛」の心模様が描かれています。

そしてこの映画は、三葉が神社を守る家系に育ったという設定もあり、日本文化を再考察する場面が投げかけられている気がします。

クライマックスで2人が会うのも、宮水神社の御神体である窪地です。

伝統文化の一つである「組紐」も、2人の入れ替わる重要なヒントを握っています。

 

「この映画は単なる青春物語じゃない。

監督は、もっと普遍的な、私たち日本人という民族のルーツや、生命の根源みたいなものから、その延長の時間軸に生きる、今の私たちについて描きたかったんだ。」

私はそう感じました。

 

地震に始まる様々な災害、社会の圧迫感と、早すぎるテクノロジーの進化・・・。

様々な不安要素を含むこの時代に、新海誠監督はこの映画を通し

「繋がっている。私たちは、その『誰か』と、時や場所を超えても、そしてあなたが誰だか分からなくても、求め合っている。」

そういう漠然としていながら、まるで魂にインプットされているような、スケールの大きい「愛」について語っているような気がしました。

 

 

そんな2人が奇跡のように出会えたある瞬間があって、それは瞬く間に消えてしまって、それでも君に伝えたかったこと・・・

瀧が三葉の手のひらに書いたのは、

 

 

「好きだ」

 

 

 

・・・・

ああ。そうか。

うん、君のことが好き。だから会いたい。分かる。だから、「好きだ。」

・・・・・・・

そしてラストに2人は現実世界で再会し、ハッピーエンド。

 

 

 

 

 

 

 

あれっ!?これって単なるボーイミーツガールの物語だったの??!!

 

モヤモヤの原因はここでした。

 

 

 

 

新海誠さんの描くあの空、もうあれが完成された、言葉はいらないひとつの世界の美しさであり、かつ日本文化を描くことから、私たちの命の根源まで問いかけているようなあの映画に、私は確実に、単なる「恋愛」とは違う種類の「愛」を感じていました。

 

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それは地球に対する愛であり、夜空に対する愛であり、それはこの時代に、この場所に生きていることに対しての愛であり喜びであり・・・

そういうものを確実に含んだ映画であると感じました。

そういうものの着地点がありふれたラブであった(ように感じてしまうような結末であった)ことに、

モヤッとしたのです。

ここで私が問いかけたいのは、

 

 

物語にとって、恋愛的なラブが最上の美しさか。果たして。

ということ。

 

 

 

気づけば、巷にはラブストーリーがあまりにも溢れていると思いませんか?

アニメ映画の王道、ディ○ニー映画の大半も、プリンセスがいてプリンスがいる。

日本の少女漫画はいうまでもなくラブに溢れているし、戦闘系の少年漫画にさえ必ず「ヒロイン」がいますよね。

「男」と「女」がいて、物語は、どきどき。

ラブソングも世間に溢れてる。

「♫あなたに会いたくて・・・」

「♫ずっとそばにいるよ・・・」

「♫ただ君だけを・・・」

J-popの大半がラブソングだといってもいいのではないでしょうか?

そう、あまりにもラブが溢れかえっている。

 

 

 

ラブストーリーは美しいです。どきどきして。男と女がいて、物語が動き出す。わかります。どきどき。

 

でも、異性に対する愛、つまり「恋愛」という形で感じるそれは、

全ての感情を凌駕し得る、至上最高の感情でしょうか?

 

 

例えば、失恋した後、「どうしてあんなに彼(彼女)に夢中だったのかな?」「どうかしてたんじゃないかな?」って思ったことはありませんか?

これは全くその通り、恋愛は一種の脳の錯覚とも言われ、そのメカニズムは科学的にも証明されています。

(ちなみに、私がこのことを知ったのは、イギリスのコメディアニメ『おかしなガムボール』より・・・( ̄▽ ̄;))

 

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Episode.172『The Love』より「愛とは全て化学である」

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(出典がアホらしくてごめんなさい・・・でもこのアニメ、シュールでとっても好き・・・笑)

 

一応、図書館に行ってきちんとした出典調べました。

身も蓋もない言い方だが、「恋に落ちる」というのは、脳内の報酬系にスイッチが入ることで、「この人しかいない」という気持ちが芽生え、一人の人に夢中になること。そうした、脳内の神経ネットワークが働く一連のプロセスなのだ。

報酬系とは、喉の渇きや空腹など、生物が生き延びるために必要な機能であり、この報酬系にとって極めて大事な働きをしているのが、快楽をもたらす神経伝達物質ドーパミン(ホルモンの一種)だ。

つまり、ドーパミン報酬系の燃料であり、恋の燃料なのだ。

          ー 奧村康一らNHKスペシャル取材班(2009)『だから、男と女はすれ違う』より(一部略)

 

 

だから、「恋愛」に感じる「愛」って、永遠のようで、普遍的な美しさのように感じられて、

 

 

でも・・・それって・・・

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って私は思ったり、、、するんですが、いかかでしょうか・・・(小声)

 

 

 

そこで、「君の名は。」に戻ります。

あの映画に表されていた「愛」は、ホルモンの助けがあってこその、あんなに美しい愛であっただろうか?

(言い方・・・笑)

きっと違う。私はあの映画から、それとは違うものを確実に受け取った。

 

しかし瀧が三葉に送った言葉は、「好きだ。」そして2人は結ばれた。

うーん。

このモヤモヤ感はなんだろう。単直に表すと、

 

「入れ替わったのが男と女でしかこの物語は成立し得なかったのか?」

ということ。

 

 

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(恋愛には性別を超えた色んな形がありますが、ここではあくまで「瀧くんの立場」で考えると、)

瀧くんと入れ替わったのが、三葉じゃなく、例えば勅使川原くん(三葉の友人)だったら?

彼はここまでの情熱で彼を求め、会いに行っただろうか・・・?(笑)

そうじゃなかったら、瀧くんは三葉だったから、ここまでの情熱に駆り立てられた。

だとしたら、

この物語を動かす「愛」の起点は、結局のところ「恋愛」の「ラブ」だったのかな?

そこが、私のモヤモヤ点。

 

 

恋愛を否定する気は全くありません。

でも、「ラブ」つまり「愛」は必ずしも「恋愛」と同義ではなく、他にもいろんな種類があると思うんです。

家族に対する愛、地球に対する愛、命に対する愛に、自分に対する愛・・・。

「恋愛」はあくまで、そのうちの一つでしかないと思うのですが、どうでしょう?

 

 

世の中には様々なストーリーがあります。

様々な感情で描かれていたはずのストーリーたちが

結局は全て「恋愛の物語」に収束され得るものであり、それが最も美しい愛の在り方だとしてしまったら

それって私たち、これまで多彩な人間の感情や人生模様にとって、あまりにも表現が乏しくありません?

 

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だからこそ、私はあの場面で瀧くんに「好きだ」とは言って欲しくなかった。

(ただの個人的な意見のようにも思いますが・・・)

だって、ラブストーリーはもう巷(ちまた)に溢れかえっているのだもの!

 

 

 

これは私の大好きな動画。

新海誠監督が、作家の川上未映子さんを招いての対談。

話は、両者の作品づくりの根源がどこにあるか、という話になります。

 

監督にとっての“イノセンス”(純真さ)は、いつのどの景色?の質問に対し、新海監督はこう答えました。

12〜13歳のころの、寒い場所で育っていた時のこと。寒さとその中で見る星の瞬き。よりギラギラ見えて、その届かないギラギラが世界の本当の姿であり、片思いをしている相手であり・・・。あの時に一番大切なものを受け取って、それを作品の中にどう映そうかというのを思っている。

 

 

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(画像:Youtube:アニメ映画『君の名は。』心をつかむ 新海誠監督インタビュー 16.09.15)

 

 

ここから、新海誠さんの描きたい世界の根源が、必ずしも恋愛感情のみから来ているものではないと感じられます。

監督の真に伝えたいメッセージと、物語に感じられた恋愛色とのギャップが、私が映画を見た後に残った違和感であったのかもしれません。

 

 

新海誠監督の描く世界はすごく素敵で、私も、違和感はあると言いつつこの映画は大大大好き。

すごく遠くて、きらめいた、世界の本当の姿を、私は確実に受け取った。

だからこそ、大好きなこの映画だからこそ、「ラブストーリー」として簡単にくくらないでほしい。

着地点はそこじゃない。

それだけのことなんですけど・・・笑

 

 

 

私は声を大にして言おう、ノーモア・単なるラブストーリー!

愛の間口はもっとたくさんあるはずだよ。

 

 

 

就活を辞めた大学4年生の見た景色。真っ白な平野に立たされて…

 

 

こんにちは、フキです。

人生をRPGロールプレイングゲーム)のように「 Yes / No 」で選択していった結果、私は大学3年生終わりの春に就活をやめると決意しました。

 

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そう決意するに至った経緯については、前回ブログを読んでみてください。

(前回ブログを要約すると・・・)

もともと私は公務員志望でしたが、大学3年時にインターンシップに行ってからそこへの就職を辞め、

→一般企業の求人の検索、職場見学を繰り返すも、なぜかどの企業にもピンと来ず…

→ある夜、社会人生活を想像して大泣きしたことをきっかけに

→「就活をしない」という道を、RPGのノリで選んだ

(ということです。)

 

 

この記事では、就活をやめると決意して過ごした大学最後の一年間で、私が見たこと、感じたことを書きます。

 

 

 

・・・

 

 

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就活はしない、と選択した私。

春休みを終え、地元から大学に戻った私が目にしたのは

 

「一っっっっっっ気に就活モードになっていた友人達」

 

 

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飛び交う就活用語。

あれっ。少し前までみんな、普通の大学生だったのに。普通の会話をしてたのに。

その「一斉感」に驚いた。

よーいどんのピストルでも鳴ったのかしら。

いつ!?聞こえなかったよ

 

 

私は思いました。

 

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やっていないのは、大学院への進学か留年を決めている人だけでした。

その人を除いて、就活はみんなやる。

 

 

 

さらに驚いたのは、みんなお互いの状況をよく把握しているということ。

同じ研究室にいる仲間同士はもちろん、他の研究室の友人達のことまで。

 

 

 

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この空気の中、私はこの時、

「お願いだから私のことに触れないで!」という気持ちでいました。

 

 

何か聞かれたとしても現実、

自分のことを何も説明できなかったから…

 

 

就活をしないことに対して何か正当な理由付けもできなかったし、とりあえずの言い訳も思いつきませんでした。

 

 

分かっているのは、決めているのは、

「就活をやめた」ということだけ。

 

 

 

しかし友達からは進路を探られ、

担当教授からは心配され、

大学のキャリアセンターからは進路確認の電話が鳴り止まず・・・

 

 

 

孤独な気持ちでいっぱいいっぱいだった私にとっては、

色んな人がそんなふうに関わってくることがとても負担で、

次第に大学に行って人に会うのが苦痛になっていきました。

 

 

 

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・・・どうして?

あなたはあなたのダンジョン、私は私のステージにいるだけのに、どうしてそこで干渉してくるの・・・?

 

 

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周りの詮索に消耗していた私は、この時点ではもう、

就活をしないでいることはほとんど「意地」でした。

 

 

 

私は「私の人生を選べる」と生まれて初めて知って

私が就活を辞めた理由。人生をRPGのように生きてみようと思った - 雨やどりをしよう。より)、

それが嬉しくて、

そのことを「就活をしない」という行動を通して証明したかったのだと思います。

誰にって?

「自分自身に」、証明してあげたかった。

 

自分を操作するコントローラーは自分が握っているんだってことを、証明したかった。

いかにもリスクの高い選択に思われるかもしれませんが、あの時、大多数の人とは違う方向に舵を切ったことは、レールに乗り続けてきた私にとって、すごく意味のあることでした。

 

 

 

私は私のコントローラーをしっかり握っている。

 

 

 

 

 

うん。

 

 

 

で、「就活を続けますか?」

の質問にNoと答えた私の目の前に現れたのは、

 

 

 

見渡す限りの真っ白な平野・・・

 

 

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あれ??

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目の前には、進む道も、選ぶべき選択肢も見当たりませんでした。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

進む道が何にも見えない状況で、私はこう思いました。

 

「自分は、もしかしたらとんでもない選択をしちゃったんじゃないか・・・。」

 

 

 

眠れない夜が続きました。

 

 

 

どうしようどうしよう。

体が震えるほどの不安。

 

 

 

 

このとき私には、自分を肯定してくれる人が誰もいなかったし、実際、誰かが肯定してくれるような言い訳も持っていませんでした。

 

 

何度も何度も揺らぎました。

 

 

こんなに苦しいくらいなら、就活しておけばよかった・・・」

 

とも思い始めました。

 

 

 

 

 

 

そんな時によぎった言葉。

 

 

 

 

 

・・・で、結局、私は何がしたいの?

 

 

 

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「・・・?」

 

 

 

 

 

真っ白な平野に立たされて、私はそれすらも分かっていないということが分かりました。

 

就活をやめたとして、私はどこに向かって進みたいのか。

自分はどういう生き方がしたくて、何が好きなのかすらまともに分かっていませんでした。

 

 

 

そりゃ、選択肢も出てこないわけです。

まずは、私は今なにがしたいのか。

 

 

 

それを明確にしない限りは私はどこにも進めませんでした。

 

 

 

 

 

そこで私は一人の時間を作り、ゆっくり、自分の好きなもの、考えていること、好きな言葉や好きな写真などを目一杯ノートに書き込んで行きました。

もう戻る道はなかったので、私はこの時、全身全霊、一日の空いてる時間全てを注いででも、自分の進むべき道のヒントを見つけ出さなければいけませんでした。

 

 

 

大学4年生では、私のやることといえば卒論を書き上げることだけだったので、アルバイトの時間を差し引いても自分のための時間はたくさんありました。

大学にいると周りの就活の空気が苦しかったので、大学では卒論の執筆以外のことは一切やりませんでした。

そのうち、必然的に友人との交際はほとんど断ち切られ、いつのまにか私は「一人」になっていました。

 

 

 

 

 

ゆっくりじっくり自分の好きなことだけを考える時間・・・

 

 

 

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はじめて味わう孤独。

 

 

 

 

 

 

 

・・・なんだかとても、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

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と思いました。

初めて味わった孤独感。

ほんとに静かなんです。

 

 

自分以外の人との対話が極端に少ない日々

好きな本を読んで、好きな言葉を集め、自分の好きなことだけを考えて、本当になりたい姿だけをひたすら想像する時間。

 

 

 

私が好きなもの、考えていることなどでノートがいっぱいになる頃、

私はこの世界に大好きなものがたくさんあることに気づきました。

 

 

戻る道はないし、進む道も見えないけれど、私は今、この世界にいれて嬉しい。

この人生で、大切にしたいものがたくさんある。

 

 

歩いていける。大好きなものだけをたくさん持って、私はこれからも、どこまでも歩いていける。

 

 

 

 

世界は優しい・・・

 

 

そう思いました。

 

 

 

私は今、こんなに何もしてないし、周りから見たらきっと私は「やばい」状況。

 

 

 

でも、そんな状況に身を置いてみたけど、実質、いまこんなにゆったりした時間を過ごせていて、強い安心感に満たされている。

 

 

 

そして、私にはこんなに好きなことがいっぱいある。紛れもなく生きている。

 

 

 

なにも実質やばくはない。

 

 

 

生きて行くことは、そんなに危ういことじゃない。

 

 

 

 

みんなと足並み揃えて人生を歩まなくたって、私は私をまっすぐに生きていけばいい。

 

 

今すぐに目指すもの、なりたいものは見つからないけれど、お金がないなら、アルバイトすればいいだけのことで、何がただちに私を傷つけるというの?どうしたら直ちに命が危うくなれるの?

 

 

 

私には今確実に時間がある。

好きなものがある。生きていることが嬉しい。命があるから、

私は私のやることをこれからも「選べる」。

 

 

時間のオゾンを浴びまくって、私は命の喜びを感じていた。

世界は、私たちが思っているよりも優しい。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

みんなが言ってきた「やばい」を実現した私に、世界は変わりなく素敵なものを与えてくれていた。

そのことが、私の世界に対してのゆるぎない「信頼感」に変わりました。

 

 

私が送った、この世界に対しての挑戦状に、しっかり答えてくれたような気がしました。

 

 

 

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こうして私は、

 

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・・・

 

 

…秋。

大学では、もう一つ見たものがありました。

運悪く進路が決まらなかった友人たちの、元気のない姿です。

100%の人が進路がうまく決まっているわけではありませんでした。

 

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彼らの違いは何だろう。

彼らは「何かの加減で運が向かなかった」としか言いようがなかった。

 

 

 

そしてそんな就職の決まらない人が、なぜか心を病んで行く。

大学に来れなくなってなって卒論すら進められなくなる人もいました。

 

 

・・・

 

 

ある日、同じ学科の仲間数人で卒論調査に行きました。

その中の一人、玉井くん。

 

 

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悩んでいる彼に何か言ってあげたくて、私はその日の別れ際、彼にこう声をかけました。

 

 

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このとき私は知りました。

 

 

「就活路線に取り残される」ことが「やばい」というのが、私たちの間に

しっっっっっっっかり根付いているのだと。

もうそれは焼きごてのように。

 

 

しかし、「就職が決まらなければやばい」を犯したとして、実質、この世界はあなたに、ただちに危害を加えますか?

違うでしょう。

 

 

 

私は、

就活に関する悩みは全て幻想だと思います。

 

 

 

悩んで、日常生活や心のバランスが危うくなってしまうくらいなら、本末転倒。

それならいっそ、あなたを悩ますその価値観を捨てちゃったらいいと思うんです。

周りの風は強いかもしれないけど。

 

 

 

 

大丈夫だよ。まあ、そういう私もあなたから見たらその「やばい」状況なのかもしれないけど(笑)、

それは一旦置いといて、よく見て、

あなたも私も、ライフはまだ何も損なわれてないよ。

 

 

 

 

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確証のない価値観よりも、「自分自身」が今どうであるかを見つめた方が、よっぽど実質的じゃないですか?

そしたらいつだって必ず、あなたは「大丈夫」。

 

そう分かるはず。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

3月、卒業式。

「就活をしない」を選択した私は、孤独な一年間を終えました。

心のこもった送別会も、卒業式も、うれしかったけど、同級生や教授と顔を合わせるのは私にとっては苦しいものでした。

でも卒業すればみんなバラバラ。

義務教育→高校→大学と同じ歩幅で歩んできた私たちが、今日限りでこれからそれぞれの人生に解散して行くと思うと、「私たち、ここまできたよなあ・・・」と清々しい気持ちでした。

 

 

 

会の終わりに、教授たちによるスピーチが私たちに送られました。

その時、ある一人の教授がこんな言葉を送ってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

「みんなさあ、好きなことしな。

 

仕事とか、そういうものに追われるだけじゃなくて、好きなことをしなよ」

 

 

 

 

 

 

 

…涙が出る思いだった。

最後の最後で救われた。

 

 

 

パワーがチャージされた気持ちでした。

 

 

 

 

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ほらね、世界は私を悪いようにはしない。

 

 

 

 

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ライフはまだ何も損なわれていない。私たちいつでもスタート地点。

 

ゲームのシナリオは続きます。

 

 

 

 

 

まとめ

就活をしないと決めた私を待っていたのは、孤独で真っ白なステージでした。

でもその静けさの中で、私は世界に対する信頼感を得ました。

私は「やばい」を実現したけど、ただちには何も起こらなかった。世界は依然として素敵なものを与えてくれた。

世界は危ういところじゃない。私はきっと大丈夫。これからもずっと大丈夫。

 

就活をやめて見えた、あの景色を私はずっと忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が就活を辞めた理由。人生をRPGのように生きてみようと思った

 

新卒一年目、フキです。突然ですが、

私は大学4年生の時、就活を全くしませんでした。

 

 

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ちなみに、

私は、飛び抜けた才能や人望がある、特別な人間ではありません。

また、就活をしなかった代わりに何か大きなことを成したかというと、そうではありません。

起業したわけでもなければ留学に行ったわけでもない。

普通の大学生が就活をせずに大学を卒業しただけです。

 

その先のプランも明確でなかったのに…

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この記事では

ごくごくフツーの凡人である私が就活をしないと決断するに至った経緯を綴ります。

 

 

この記事が、就活について悩んでいる人、就活をどうしてもやりたくない人、生き方に迷っている人の参考に少しでもなれたらいい、そう願って書きます。

 

 

 

 

 

 

 

◉私はなぜ、就活をしないと決断したのか。

 

結論から言うと、

 

 

人生をRPGだと考えた時、

「就活をしない」という選択をしてみたくなった\(^o^)/

 

 

からです。

 

 

 

 

 

唐突でごめんなさい。

RPGとはご存知、ロールプレイングゲームのことです。

人生=ロールプレイングゲーム!?

いきなりそんな独特な世界観突きつけられても…とお思いでしょう。

その通りです。

ごくごく凡人の私ですから、生来からこのような考えであったわけではありません。

どうして私がこんなふうに考えるようになったか、順を追ってお話しします。

 

 

 

・・・

 

 

 

私は、割と真面目で、かつ安定志向の高い女子です。

 

 

高校は地元の進学校に入学し、卒業とともに当然のように大学に進学し、大学でも特別な理由がない限り講義は出席し、と「優等生」と言えるべき学生でした。

親元を離れての大学生活も、人並みにサークルやアルバイトなどにも励みながら問題なく過ぎていきました。

 

 

 

しかし大学も2年目に差し掛かったころ。

私は大学生活に違和感を感じ始めました。

そのとき私は、

 

大学の講義が退屈に感じられてしまってしょうがありませんでした。

 

 

 

もちろん中には興味のある講義もありました。けれども、「なんでこんなこと勉強してるんだろう?」と思ってしまうような講義を90分、しかもそれを何回も受ける日々に、私自身なんだか消耗し、疲れ切っていました。

 

 

いやだなあ…と思いながら、しかしそれを特に改善しようともしないまま、私は着実にそんな90分を積み重ねていました。

 

 

 

 

そんなある日…

特別なことが起きました。

 

 

授業中、涙がこぼれて来たのです。

 

 

 

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90分が早く終われと耐えている状況が、辛くてしょうがなかったのでしょう。

でもそれが泣くほど嫌なことだったとは、涙が出るその瞬間まで自分でも気が付きませんでした。

 

 

 

 

そしてふと思いました。

 

 

 

 

「こんなに嫌なのに、なんで私は今ここにいるのか」

 

 

と。

 

なんで私はここに座ってるの。

そう……

 

 

「そんなに授業が嫌なら、私は今すぐ立ち上がって、講義室を抜け出して、外に出ることもできるじゃないか。」

 

 

 

私は私を動かせる。

5秒先の自分が何をしているかさえ、自分で変えられる。

今ここにいるのは、紛れもない自分自身なんだから。

物理的に、実質的に、私は今、私をどうにでもできる。

 

 

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今私がどこかに行ってしまったとして、罰則があるわけじゃないし。

それに今私がここにいることを、誰も強制なんかしてないんだから。

泣くほど何かが辛いなら、今すぐ立ち上がって、講義室を抜け出せばいい。

 

 

 

そう、今この瞬間、

誰一人として、

私になにも強制していない。

 

 

 

 

でも、私はここに座っている。

私は今、自分の意思でここに座っている。自分の意思でここにいて、自分の意思で90分をこんな風に過ごしている。

 

 

誰もなにも強制していないのに!

極端な話、明日も明後日も、大学に来なくたっていい。

単位が取れなくて、最悪、大学を卒業できないだけだから。

あれ?そもそも、このまま大学に通い続けることだって、実は誰も強制していないじゃん。

 

 

私はその日、そう気付いたのでした。

 

 

 

 

「いや、自分で大学に通うことを選んだんだろう」って思いますよね。

全くその通りです。

私は、自分の意思で大学進学を決めて、受験する大学を決めて、親からの援助もあって、自分の意思で講義に出席することを決めて、自分の足で講堂まで来て、自分の意思でそこに座っていました。

 

 

でも当時の私には、それを私が「選んでいる」という自覚がまるでありませんでした。

 

 

高校に行って、大学に入って、勉強して、就活して、卒業して、、って、それが「当たり前」だと思っていたから、単位を取れるように真面目に出席してる。教授の話を聞いている。

そして、本意でないと泣いている。

本当は、誰もなにも強制していないのに。

 

 

 

・・・あれ?

 

 

 

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そこからです。

私は、自分のやることを「選べる」のだと自覚し始めました。

 

人生、20年以上生きて、ようやくそのことに気付いたのでした。

些細なことのように思うでしょう。

でもこの日のことは、

私の人生においてとても大きな意味を持つことでした。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

時は過ぎて、大学3年生。

その時の私は就職に関してとても熱心に考えていました。

大学のキャリアセンターや地元のハローワークに通い、面談を受けたり、公務員試験についてや、地元の求人を調べたり・・・

 

 

農学系の専門性の高い私の学科では、卒業生の就職先にはある程度傾向があったので、私もそのいずれかに就職するんだろうな、と考え、就職先の第一希望に、地元の県庁を選びました。

 

 

 

その年の夏、私は地元の県庁のインターンシップに参加しました。

そこでは一週間の中で色んな部署を見学させていただき、とてもいい経験ができました。

 

 

 

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5日間のプチ社会人生活。

その日々の中で私はこのことを一番学びました。

 

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(そこ?笑)

 

 

 

そうか、就職するって、一週間の大半をその仕事に費やすということなんだ!

 

 

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それを体験して初めて、腑に落ちて理解した感じでした。

 

 

 

そうか。働くってこういうこと。

 

 

でもまあ、ここ県庁でなら大学で学んだことも活かせるし。給与もいいし。公務員は、安定だし。お父さんも喜ぶし。

うん。それで、私はどうしよう。来年ここを受けようか。

 

 

 

・・・

・・・

・・・

え。

 

 

 

 

あれっ、私の社会人生活ってこういうことかな。

1日の大半を、そして1年、2年、数年単位のほとんどの時間を、ここで費やすってことかな。

 

 

 

 

 

・・・あれ?

 

 

 

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あれ。。なんだか。。

 

 

 

そのことについて、私は、どう?

ここで働いていくことについて、私は、どう?

 

 

ここは待遇はいいけど。第一希望だったけど。

 

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あ…そういえば、そうだった!

誰も私に何も強制していない。

 

 

私は、「選べる。

去年のあの時知ったんだった。

 

 

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…じゃあ、私はどっちを「選ぶ」の?

ここで、働くのか、やめとくのか。

ここで私は、働きたいのか、働きたくないのか。

Yesか、Noか。

 

 

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私はピンと来ました。

 

RPGのあの感じに似てる!と。

 

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みたいな。

 

 

選ぶってまさにこういうことだ。

YesかNoか。右か左か。

 

そう、色々考えなくていい。

選ぶって結局はYesかNoか、それだけ。

それを自分で選ぶだけ。

人生は、RPGでいいんだ!

 

 

 

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「公務員はやめる」と選択したら、その後のシナリオが展開するだけだ。

 

 

 

 

YesかNoなら、私の選択は決まっている。

なんてシンプルなことだったんだろう。

でも、結局、YesかNoでしか人生は進行しないのだから、、

 

いいじゃん!

人生はRPG観!!

 

 

 

 

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すると続く道には…

 

 

 

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こんなルートが見えてきました。

 

 

 

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・・・

 

 

 

 

こうして、県庁への就職を辞め、一般企業への就職を目指し始めた私は、3年生の夏からやってきたと同様、地元のハローワークに通ったり、インターネットで求人検索をしたり、気になった企業に見学に行かせてもらう日々を送りました。

 

 

 

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この時、給料がいいからとか通勤しやすそうだとか、余計なことは考えず、その会社で

 

・働きたいか

・働きたくないか

 

それだけにシンプルに答えることだけを意識して就活を続けました。

 

 

 

これを繰り返すうちに、働きたいと思う会社が見つからないままに、とうとう大学3年生も終わりを迎えてしまいました。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

大学4年生を間近に控えた、春休みのある日のこと。

その夜、私は自分の部屋のベットに横になり、ぼんやりとこんなことを考えていました。

 

 

ついに社会人も近い。私は一年後にはどこかの企業で働いているんだ。

今とはちょっと違う生活。社会人だもの。

月曜日から金曜日、朝8時から夕方5時まで働いて、家に帰ってきて、ご飯を作って食べて。

お風呂に入って、ゆったりして、夜12時には寝て。

朝は家の掃除をして。仕事服着て。出社して。

それが私の毎日。

 

 

それが私の毎日。

 

 

 

 

 

 

 

 

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涙がぽろぽろぽろ・・・・・・・

流れて

流れて、

 

 

びっくりするくらい止まりませんでした。

 

 

 

・・・

わあ、私、嫌なんだ。

そういう生活が、やりたくないんだ。

 

 

私はそう気付きました。

 

 

 

 

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その時あたまをよぎったのは、この言葉。

 

 

 

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そうだ、実は誰も私になにも強制していないし、

私は私のやることを選べる!

 

RPGみたいに、選べばいい!

 

 

 

 

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起動しました私の人生RPG

 

 

 

 

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えっ。

 

 

 

そんな選択肢、あるの。

 

 

 

 

 

 

 

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思い出して。人生はRPGで、

 

「私は私のことを選べる」

 

 

選んでいい、なぜなら私のコントローラーはいつでも私が握っていて、

実は誰も私になにも強制していない!

 

 

 

 

 

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そういうことならば、、、

 

 

 

 

 

 

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(うっそ〜ん(~_~;))

 

 

 

 

 

 

・・・

 

こうして大学3年の春休みは過ぎ、私は就活をしないと決意して4年生を迎えることになったのです。

 

 

…まとめ…

なぜ私は就活をしないと決意したのか。

それは、

 

 

 

 

自分を「選択」するコントローラーを生まれて初めて手に入れて

それを手に、現れた選択肢にひとつひとつ答えて行ったら

必然的にそこにたどり着いた

 

 

 

 

というだけのことでした。

 

 

しかし、この時の私はまだ自分の選択に確信が持てず、不安だらけでした。

 

 

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だって、、、人生はRPGだって言っても・・・

 

 

 

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っていう・・・。

 

 

 

(Fin)

 

 

 

・・・

 

長い記事を最後まで読んでくれてありがとうございました。m(_ _❤︎)m

当ブログではこの先も、「就活をしないと決めた大学4年生が、その先どうなっていったか」についての記事を徐々に更新していきたいと思います。

ぜひぜひ読んでみてください!

・・・

 

 

 

 

 

 

世界が少しでも平和になればいい。

世界が喜びの雨に濡れて、そしたらみんなで雨やどりをしよう。

 

 

 

 

 

 

 

他人と価値観が違うのは、人生のピントが違うから。まるでモザイク眼鏡、あなたも私も。

人の価値観についての一考察。

 

ある日私は、本屋へ行った帰り道にかわいい古着屋さんに立ち寄りました。

 

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そこはアンティーク服を販売するお店で、普通のお店では見られないような柄やデザインの服がたくさんありました。

お洋服を眺めていると、店主の女性に声をかけられました。

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私、そういうことよく分からなくって…σ^_^;

 

彼女いわく

「オーダーメイドもやってるけど、うちでは生地からヨーロッパから取り寄せます。

とにかく日本じゃ良い生地が全然手に入らないの。

 

…え。生地。

日本には良い生地がないのですか。

私は言った。

「生地が良い悪いなんて、ほとんど考えたこともないくらいです。

私、高い服と、安い服の違いがあまり分からなくて。

安い服はどこまでも安く買えちゃうじゃないですか。」

 

「うん。そうよね。今の子たちはそうよね。でもね…

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衝撃走る。

 

安い服は服ではない、ですか。

私は服でもないような服を着てしまっているのかしら、もしかして。

 

でも、私には正直よく分かりません。

ここにある10,000円のスカートはとっても素敵だけど、しま◯らの1,500円のスカートはもはや服ではないのですか。

 

ああ私の、服を見る目はとても解像度が低い・・・

 

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そう、ぼやっとしか見ていないし、見えない。

 

・・・

ぼやっとしているといえば、私は食べ物に対してもぼやっとしています。

とにかく私、お腹が満たされるとそれだけで満足!

 

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…ここでふと思い出すのは、大学在学中にインターンシップに行った時のこと。

その日会った上司の男性はいわゆるグルメな人で、お昼には彼のこだわりの洋食屋さんに連れて行ってくれました。

とてもおいしかったです!

彼も、一口一口よ〜く味わって食べていました。

「やっぱりこの店はうまい。」

 

うん、おいしいけど。

自信を持って、 “この店は” うまい!

なんて言えるのってすごいなあ。

 

追求すれば奥深いものなんだな、と思いました。

食だけじゃなく、分かる人には分かる、という繊細な世界がいくらでもあるんだな、きっと。

 

コーヒーにも、高いコーヒーと安いコーヒーがあるじゃない。

書道にも、素晴らしい書とそうでない書があるじゃない。

ほら、華道とかにも…

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その上司が感じている味の世界も、そういう、私の感じ得ない世界なのでしょう。

「すごいですね。味の繊細な違いが分かるんですね。」

私がそう言うと、彼からはこんな言葉が返ってきました。

 

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…え。それって

 

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私のことです!

 

彼はこう続けました。

「だって、美味しいものとそうでないものの区別がつかないってことは、少しでも美味しいものを食べていこうって心意気がないってことしょ?

その心意気はそのまま、人生も少しでも良く生きようっていう心意気に繋がってるんじゃない?」

 

 

 

えっ

そうかしら。

食は奥深い世界だけど、それが感じられない私は、人生への心意気が欠如してるのかな。

人生の質ごと損なっているのかな。

だとしたらかなりショック。

 

・・・

そういえば、大学時代にこんな友人がいました。

同じ学科の恩田くん。

 

彼は服をまるで「乳首と陰部を隠すための布」としか思っていないような人でした。笑

 

寒いから重ね着をしようとか、Tシャツに穴が空いたから買い換えようとか、彼の脳みそはそういう発想に至らない、なんともキュートな男の子でした。

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彼はある面ではこんなふうに鈍感です。

けれど彼は、自然を深く愛していて、

実習で森に行くと、その目は途端に輝き出しました。

様々な樹種に、虫に花に、けもの道。

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彼の、木々や植物に関する知識は素晴らしいもので、

森の中こそ彼の輝ける“フィールド”でした。

誰も、自然の中での彼の知識には敵いません。

 

 

 

そういうことなのです。

人はみな、それぞれ世界に対してピントの合うところが違うんだ。

 

例えば、件の古着屋の店主から見れば恩田くんの着こなしなどまるでお話にならなくて、彼の愛用しているTシャツといえば生地がどうこうのレベルじゃない。

彼女が恩田くんを見たら、

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こんなふうに思うかもしれない。

けれども彼には彼女の見えない世界がよーく見えているんだ。

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グルメなあの上司も、なんでも美味しいと感じてしまう、味覚の感度ガバガバの私を見て

こいつの人生の質ヤベェ、なんて思うかもしれません。

でも私の人生、ぜんぜん悪くない。

私は絵や言葉や物語が大好きで、素敵な語感に出会うと至高の幸せを感じます。

 

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この感じが、私の世界だ。

彼にはきっと、分からない。

 

 

きっとそういうこと。

 

私はたまに、誰かのことが分からない。

ある人はきっと、あなたのことが理解できない。

 

それは良い悪いの問題でなく。

あなたの、世界を見るレンズのピントがどこに合っているかの違いであって。

何に対する解像度が高いかの違いであって。

 

そう、ほんとに

世界を見る目はモザイク眼鏡。

 

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人は皆、それぞれの眼鏡を持っていて、

みんな何かに鈍感で、

同時にどこかに研ぎ澄まされた焦点を持っているのだと思います。

 

 

あなたにとって、鈍感に見える人、だらしなく見える人、理解できない人。

その人には、あなたの見えないものがよーく見えている。

 

 

 

 

そしてあなたには、誰にも見ることのできない世界が見えている。

 

きっとそういうこと。

 

 

 

 

それぞれ違うのに同じ世界を生きている不思議。

それぞれの違いを、理解できなくても、せめて想像して、

歩み寄らずとも侵害し合わず、

みんな仲良く暮らしていければいい。

 

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そう思う。

 

 

Love&Peaceじゃだめかしら。

みんなでこの地球で雨やどりをしよう。

 

 

Instagramもぜひ見てね^_^

 

 

 

 

 

はじめまして、自己紹介と、きれいごとなど。

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目が覚めて、

ふと雨の音だけ聞こえて、

そういえば私は地球に生きていた、と気付く。

そんな瞬間を残す日記を書きたい。

 

世界は、すてきな瞬間であふれている。

忘れてしまうことだけど、地球はこんなにも美しく、生きてることがファンタジー

 

いつか終わってしまう命だから、みんな幸せに暮らせばいい。

ひとり残らず、幸せになればいい。

 

そう本気で思っている。

そんなきれいごとだけじゃだめなのかな。

みんなでこの地球で雨やどりをしよう。

 

 

・・・

 

はじめまして。フキです。

1994年 長野県松本市生まれ♀

高校3年生時にタイへ1年間の留学へ行き、

卒業後、国立宇都宮大学農学部へ進学。

大学卒業後は約一年間のアルバイト&派遣&日本国内でのWWOOF(ウーフ:ファームステイ)生活を送り、現在に至る。

2019年4月1日からヨーロッパ各地でのWWOOF旅に行く予定です。

(※2019年、6月23日に無事帰国致しました!)

 

 

どうすれば、人間と地球環境との調和の取れた生活ができるのか、そして人間がよりリラックスして生きる方法はないのかを模索しています。

このブログでは私が日頃感じていること、また日本各地、ヨーロッパでのWWOOF生活で経験したことなどを記事にしていきます。

よろしくお願いします^ ^

 

 

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