Love & Peaceじゃだめかしら。

雨やどりをしよう。

生まれて来たからには、みんな一緒に幸せがいい。この地球で雨やどりをしよう。今よりもう少しだけゆるく幸せな世界を提案したい、24歳♀による(ちょっぴり)哲学的ブログ

『天気の子』は「命」を肯定する映画。台風の夜、私はあの映画に救われた。

 

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台風19号の襲来、それに相次ぐ大雨による被害…

最近、天気が変ですね。皆さまご無事だったでしょうか。

 

 

私の住居に被害はなかったものの、その代わり最近は、なんだか何にも手がつかない日が続いていました。

 

 

 

やる気が起きなくて眠気ばかりする。

何に対しても希望が持てない。

鬱々うつうつ。

先の人生のことまで延びていく、この「不安」はなんだろう…

 

 

この気だるさは、地球に対する不安。。“絶望”に似たものでした。

 

 

 

夏の猛暑、大規模森林火災…

最近の変な天気に温暖化が関係していることは間違いなくて、世界はやっぱり、いま、とても変わってきている。

私たちのすみかは将来、どうなってしまうの?

 

 

 

ぐるぐるぐるぐる、いろんな不安を混ぜ合わせて、ぐるぐる。

取り越し苦労で、ひとりで勝手に疲れている。

よくない兆候。そんなネガティブになったって、状況は何も変わらないのにね。

 

 

 

 

 

そんな私をふとした瞬間に救ってくれたのは、新海誠監督の最新作、映画『天気の子』でした。

 

映画に救われた、なんてすごい陳腐なかんじだけど(笑)

でもほんとのこと。

 

 

 

 

 

新海誠監督の最新作、映画『天気の子』

みなさんはもう見ましたか?

 

前作『君の名は。』と違って、賛否が大きく別れた映画だったそう。

この記事では、映画『天気の子』について私の独自の解釈とともに、感想を書きます。

 

 

 

 

 

 

 

映画『天気の子』あらすじ

 

 

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舞台は、雨の東京。

異常気象で大雨が降る日が続いていた。

 

 

 

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主人公は、東京へと家出してきた少年・帆高。東京で、弟と二人暮らしをしている少女・陽菜に出会う。

彼女は、天に祈れば天気を晴れにすることができる、「晴れ女」の力を持っていた。

 

 

 

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貧しい生活を強いられていた彼らは、あるとき一緒にビジネスを始める。

「天気を晴れにしてほしい。」と依頼のあった場所を晴れにする、「晴れ女」の能力を使ったビジネス。

 

私、好きだな、この仕事
晴れ女の仕事
私ね、自分の役割みたいなものが
やっとわかった

 

仕事は順調。しかし雨が続く東京で、陽菜の身体にはある異変が起きていた。

 

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陽菜の身体が、なぜか徐々に消えつつあったのだ。

 

自然を左右する行為には、必ず重い代償が伴います。

お嬢さん、何かわかる?

天候系の力はね、使いすぎると神隠しに合ってしまうと言われているの!

 

天気を晴れにする力は、それは同時に彼女の命を代償とする行為だった。

 

 

 

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帆高はさ、この雨が止んで欲しいと思う?

 

もう二度と晴れなくたっていい
青空よりも俺は陽菜がいい
天気なんか狂ったままでいいんだ!

 

2人は世界を晴れにする能力を捨て、陽菜が生き延びる結末を選ぶ。

世界の平和を投げ捨ててでも、彼女の“命”を守ることを選んだ。

 

 

※ストーリーの拾い方が、か〜なり粗いです。どうぞご了承を(笑)

 

 

 

 

 

この映画の解釈は人によって違うと思いますが、私は、

 

 

雨=社会に存在する「悪」

 

とみなしました。

それは現実世界において何に相当するか。解釈は様々だと思いますが、私はそれは

「環境問題」だと解釈してみました。

 

 

 

奇しくも、あの映画の象徴であるべき“豪雨”は、映画公開後、現実に何度ともなく現れました。あれは間違いなく「地球温暖化」がもたらした災害で…

 

 

 

「悪」にどう立ち向かうか。

「環境問題」にどう向き合うか。

陽菜があの空に祈ったように、私たちはこの社会にどうやって「祈り」を捧げよう。

私たちにできることは何だろう。

 

 

愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい

ー主題歌「愛にできることはまだあるかい(RADWIMPS)」より

 

 

主題歌のその強い言葉から、考えさせられました。

 

 

 

 

 

 

それで、よくよく考えてみたんです、何ができるだろうって。

でも…

 

大雨や温暖化…それら環境問題の元凶とは、そもそも私たちの生きる文明社会であるんですよね…(-。-;

 

 

 

 

エネルギーの過剰使用に資源の大量消費…

森林伐採に、都市化、産業の工業化…

 

 

 

あれ…?

私たちの敵って、元を辿れば、「私たち自身」?

 

 

 

大量消費社会にどっぷり染まった私は、温暖化問題について知れば知るほど、私たちの社会の方向性の“間違い”に気づくことになりました。

私たちの「生き方」や「生き様」ごと否定することになりました。。

 

 

 

 

 

深刻に考え過ぎなのかもしれません…

でも、大型の台風が近づいてきて、日本の天気がいよいよ変化していることを、世界が変わってきてしまっていることを感じて、同時に私たちは「改変」を強いられていて、その自己否定にも似た感覚に私は勝手に気疲れしてしまいました。

 

 

 

 

それが最近の気だるさの原因。

 

 

 

ああ、「生きてること」自体が、まるで「悪」の根源みたい。。って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…そんな時にふと思い出したのが、『天気の子』のあるセリフ。

 

 

世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから

 

 

 

 

 

あれ?そっか…

そう言われてみると…

 

温暖化問題は、私たち今の世代の人間が向き合わなければいけない課題ではあることは間違いないのだけれど、一方で、

私たちが生まれた時点で、社会はすでに環境問題に向き合わなければいけない状態にあったんです。

 

1970年代には温暖化問題が叫ばれ始めていたのですから。

 

 

ならば私たちだけが「悪」じゃない。はず。

 

 

 

俺たちは別になにもしていない。

なにも決めていない。

なにも選んでいない。

それでもこのまま逃げ切れるわけはない。

世界はいつか決定的に変わってしまうだろうと誰もが予感していて、誰もがずっと、知らないふりをしていたのだ。

 

 

なーんていうセリフも映画の中に出てきたり。

 

 

 

 

 

先人たちに責任を押し付けるわけではありませんが、私たちはある意味、ネイティブに温暖化社会に生まれ落ちた者なんですよね。

 

 

 

自分たちの「生き方」に、なにか悪いものが含まれてるって、私たちは選んでない!

私たちの「生きてること」を、否定なんてしたくない!

 

 

 

生まれてこれたことは本来それだけで祝福すべきことで、生きてることは嬉しいことのはずなんだから!

 

 

 

ならば私たちは、世界に祈りを捧げ続けるよ。

 

「生まれてきて正解だ」って、誰か言ってよ。「生きることは嬉しいことだ」って、何が証明してくれる?

 

 

 

 

 

 

 

それに答えを与えてくれたのが、まさしくこの映画でした。

 

 

ヒロインの陽菜はまだ10代。生まれながらに不安定な社会に生きていて、天気に、社会の厳しさに揉まれながらも彼女は、世界が良くなるようにと人知れず「祈り」を捧げていた。だれも気づかないところでみんなを救っていた。

 

 

勇気や希望や 絆とかの魔法
使い道もなく オトナは眼を背ける


世界が背中を 向けてもまだなお
立ち向かう君が 今もここにいる


愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい

 

RADWIMPS「愛にできることはまだあるかい」より(一部略)

 

映画の主題歌も、彼女の生き様を歌っています。

 

 

 

 

 

土砂降りの世界に「祈り」を捧げ続けてき陽菜。

彼女の行為はどのようにして報われたかというと…

 

 

彼女自身が、最後には、世界の幸福よりも自分が「生きる」ことを選んだ。

 

 

結局世界は、最後に良くなることはなかったんです。

 

 

 

 

でもこれこそが、何物よりも彼女の「命」を肯定したもので、この映画最大のメッセージであるとも思います。

 

 

それはある意味、自分本位な選択に思われるかもしれない。

でも、 私はとても嬉しかったんです。

 

 

 

 

ああ、そっか。

 

 

 

 

 

私たちは、何があっても、どんな社会に生きてても、一番最後には、自分の命をいちばん大切にしてもいいんだって。

 

 

 

 

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それはすごく、“生きること”自体を肯定することで、命そのものへの祝福のような。。

とてもとても強いメッセージ。。

 

 

 

だから台風の夜、そして温暖化問題が叫ばれる今日、私はあの映画をふと思い出して、心が救われたんです。

 

 

 

 

 

 

夏の酷暑も、台風も怖い。

地球の未来が見えなくて怖い。

そうでなくたって不安の対象なら他にもたくさんある。経済不安、労働問題、お金、子育て、老後のこと…

いっぱいいっぱい。数えきれない。

 

 

だけれども、

そっか。

 

 

 

 

社会に渦巻く不安感、それらは決して、何物も、私たちのを否定するものであってはいけないんだ。

 

 

 

 

 

私たちは、何があっても自分の命を大切にしていい。

自分の命を、生きてることを、一番に肯定していい。

 

 

ならば、どんな時代にあろうと、やっぱり生きてることは嬉しいことなんだ

素晴らしいことなんだ。

ポジティブなことなんだ!

私たちは、どんな時代にでも、喜びとともに生きてていい!!

 

 

そう思えました。

 

 

 

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あの夏、あの空の絵で、僕は選んだんだ。青空よりも陽菜さんを。

大勢のしあわせよりも陽菜さんの命を。

そして僕たちは願ったんだ。

世界がどんなかたちだろうとそんなことは関係なく、ただ、ともに生きていくことを。

 

という、映画のクライマックスのシーンの帆高くんのセリフ。

 

 

 

 

そういうことなんだと思います。

私たち、先は見えない。世界がどう変わっていくのか。

でも、どんな世界においても、ただ、生きていこう。

どんな時にも一番最後に残る、自分の命だけは手放さないで、生きていることを一番に肯定していこう。

 

 

 

 

こんなにも「生きること」そのものをストレートに肯定してくれる映画には、私は初めて出会ったような気がします。

 

 

それはとてもとても強いメッセージで…

 

 

 

 

この時代、この季節に、この映画に出会えたことを、私はずっと覚えていると思う。

 

 

 

 

*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとうございました!

またブログに遊びに来て下さい^_^

 

 

 

最後に、『天気の子』より。

 

 

*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

神様、お願いです。

これ以上僕たちになにも足さず、僕たちからなにも引かないでください。

 

*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

 

ああ、なんて美しいセリフ。。

 

 

 

 

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